江戸物に初挑戦

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に応募(参加者Bとして)しました。
最近取り付かれている「江戸」を書いてみましたよ。

「大工のかんざし」

「てぇへんだ、親分。てぇへんだぁ。」

朝靄の晴れないうちから、手先の松吉が駆け込んできた。

「おうおう、朝早くから騒々しい。お前のてぇへんは、いつだってこれっぽっちも大変じゃねぇじゃねぇか。」

と、奥から三太親分の声が飛んでくる。ここは、江戸は深川の岡っ引き、三太親分の家である。

「大方、この時分に駆け込んでくりぁ、朝ごはんでも頂けるって思ってのことだろう。とりあえず、こっちへ上がんな。おーい、こいつにも一膳出してやってくれ。」と、奥のおかみさんの方へ声をかける。

松吉は、座敷に上がりながら、

「いや、親分。今度と言う今度はほんとうにてぇへんなんで。あ、こりゃどうも。うまそうだねぇ。いただきやす。」

と出てきたご飯に飛びついた。

三太親分は箸を止めて、

「てぇへんってのは、食うことよりもてぇへんじゃねぇのかねぇ。」と、あきれながら松吉に言う。

「そうそう、忘れるところだった。永代橋土左衛門が上がったんで。」と、松吉はご飯粒を畳の上に撒き散らしながら、慌てて言った。

そうか、と言うが早いか、親分は十手を握り表へ出て行く。松吉は、もう一口二口かきこんで、親分の後を追いかけて行った。



永代橋の下の河原には、すでに人だかりが出来ていた。三太親分が割って入ろうとすると、どよめきが起こった。松吉が追いついてきて、

「ちょいと開けてくんな」と言いながら人ごみを分けて入ってきた。

戸板の上には、男が上半身を起こして座っていた。三太親分は松吉をどやしつけた。

「誰が土左衛門だってぇ?勘違いにも程がある。その目で見てから物を言え。」

へいへい、と生返事をしながら、松吉は戸板の上の男に尋ねる。

「おめぇ、名はなんてぇんだい?」しかし、男はうつろな目をして、首を傾げるばかり。その右手にかんざしが握られているのを見て、松吉が手に取ろうとすると、男は松吉を振り払った。

「何しやがんでぃ」と松吉が腕をまくろうとするのを親分が制し、

番所へ行って、話を聞こう。」と男の顔を観察しながら言った。



番所で、男に茶を出しながらいろいろ尋ねるが、男は首を振るばかり。右手に持ったかんざしを握り締めたままだった。

「親分、こいつ名前も思い出しやがらねぇ。どうします?」

「頭をどこかでぶつけたんじゃねぇか。それより、この風体の行方知れずがいねぇか、調べて来い。」と、松吉を送り出す。

ほどなく、表がざわついて、番所の戸が開いた。そこには、髪を振り乱した女が立っていた。女は駆け込んでくると、「お前さん、どこいってたんだよ。」と、男の肩を抱き問いかけた。しかし、やはり男は首を振るばかりだった。



女に話を聞くと、男は隣町の大工で名を長介と言い、自分は女房のお玉と言う。昨日の夜から行方が知れなかったそう。近所の長屋の普請が終わったばかりだったから心配だったと。

「しかし、何にも覚えてないらしい。この様子じゃぁ、お前さんの顔も思い出せねぇみたいだな。」

ふと、長介の手のかんざしを見て、親分はお玉に聞いた。

「このかんざしは、お前さんのかい?」

お玉は、力なく首を横に振った。親分は、手を顎にやり思案していたが、ふと思い立ったように番所を出て行った。



しばらくして松吉が、

「親分、わかった。長介だそうだ。でぇくの。」と言いながら飛び込んできた。

番所に親分が無く、お玉と長介が座っているのを見て、松吉はたたらを踏んだ。その後ろから、親分が入ってきて、松吉にぶつかった。親分は、金槌を手にしている。

「お、親分堪忍してくんなせぇ、そんなもんであっしをぶったら、骨が折れちまいまさぁ。」と松吉が横っ飛びに避ける。

「早とちりするな。これは、この長介の物だ。」と、親分はお玉に向かって言った。

「自分の大工道具を握れば、何か思い出すかも知れねえと思ってな。」親分が言っている脇から、小さい手がすっと伸びて、金槌を長介に差し出した。

「おとうちゃん、これ握って。思い出しておくれよ。庄平だよ。おとうちゃん。」と、その子供は長介に向かって訴えた。

「さっき、思い立って長屋のほうへ出向いたら、この庄平が留守番をしていてな。大工道具を持って、一緒にきてくれたわけだ。」と、親分は、お玉と長介に向かって言った。

「どうだ、長介。何か思い出したか。」

長介は、やはり首を横に振るばかり。それを見て庄平が叫んだ。

「おとうちゃん、思い出しておくれよ。餅つき名人のおとうちゃんに戻っておくれよ。」

三太親分は、何かを得たように立ち上がった。長介と庄平の手を取り、番所を出て行った。あわてて松吉が後を追う。



親分は、半町ばかり先の火除地に向かっていた。松吉が追いついた頃には、親分はそこの人だかりに声をかけていた。

「すまねぇが、こいつにもやらしてもらえねぇか。腕は立つはずだ。」と、振り返り、

「松吉、手伝ってやってくれ。」

松吉はうなづくと、広場の奥にいる屈強な男に得物を借り、長介が持てるように手伝った。

すると、さっきまでうつろだった長介の目に輝きが戻ってきた。長介はそのまま広場の中央に進み、手に持った得物を大きく振りかぶった。

「よっ。」

大きな声を上げて、長介は臼に杵を振り下ろした。その杵の下で、気持ちよく白い餅がつぶれた。

「よ。」

「はっ。」

周りから歓声が上がる。長介の杵さばきは見事であった。

「餅つき名人、長介とうちゃん。」庄平の呼びかけに、長介はさらに杵を高く振りかぶった。

松吉が、三太親分のそばに寄る。

「ここで餅つきをやってるなんざ、よくごぞんじで。」

「なに、さっきこの近くを通ったとき、掛け声が聞こえたからな。それより、あのかんざしは、妙だな。にあわねぇ。」

親分の視線の先には、長介の髪に刺さったかんざしが大きく踊っていた。



お玉がやってくると、長介はすっかり人に戻っていた。庄平を肩に担ぎ、お玉に言った。

「お玉、すまねぇな、心配かけちまった。庄坊もありがとな、思い出させてくれて。」

長介は、庄平を降ろし、三太親分に頭を下げた。

「親分さん、ありがとうごぜぇやす。おかげですっかり思い出せやした。」

「なに、こちとらお役目よ。で、長介。そのかんざしが気になるんだがなぁ。」

長介は、髪に手をやり、かんざしをはずした。

「へえ、あの晩、銭がへぇったんで、こいつが長い間欲しがってたかんざしを仲見世まで買いにいったんで。首尾よく買えたところ、急いで帰ろうとして吾妻橋を渡ろうと・・・」

「あの晩は、結構な雪だったなぁ。」と、親分。

「へい。その雪で足を滑らせたんで。幸い、落ちたところが河原で。」

「そうか、そこで頭をちょいと打って、ふらふらと川沿いに下っていったんだな。いよいよ永代橋の下でのびちまったと。」

「それで、土左衛門・・・」

という松吉をにらみつけ、親分は言った。

「とまれ、無事で、頭も戻ったことで。よかった、よかった。」

長介親子は深々と親分にお辞儀をした。長介は、手の中のかんざしをあらため、お玉の後ろに回った。そして、かんざしをそっと挿してやった。冬の日差しに、かんざしの赤い七宝焼きが光っていた。



何度もお辞儀を繰り返し帰っていく長介一家を見送りながら、松吉が親分に尋ねた。

「なんで、餅つきをさせると、思い出すと思ったんで?でぇく道具じゃ思い出せなかったじゃねぇですか。」

「なぁに、古くから言うだろ、昔取った杵柄、ってな。」

ちょっと長い。もう少し歯切れよくいきたいよねぇ。