先週の読書メーターから

2010年4月26日 - 2010年5月2日の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:1133ページ

ガリレオの苦悩ガリレオの苦悩
テレビで見てしまった。という感じ。だが、テレビではテレビらしい処置がされている部分もある。さて、トリックがだんだん科学の辺縁に行っている気がするんですよ。身近な科学現象が、事件に絡むと不可解になってしまうというパターンの方が、意図的に科学の魔法を使って犯罪が実行されるより好きだな。ダウジングの心の部分については、作者に賛同。科学って、頭からは否定しないものなのだ。湯川氏の事件へのかかわりが多くなってきているのは、ネタ切れなの?科学リテラシーという観点からも、このシリーズ注目なので、頑張ってほしい。
読了日:04月28日 著者:東野 圭吾
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらもし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
ご都合主義ではあるが、「ザ・ゴール」よりは読みやすい。ドラッガーを読んでいないから、エッセンスのエッセンスになっているかは不明だが、雰囲気はわかった気がする。ビジネス書の悪癖である、「全然向かない分野」とか、絶対ある「もうやめちゃおうと思う大失敗」がなくて、成功譚になってるところはしょうがない。が、その点が野球で救われている。商売だと「大成功」も鼻に付くが、高校野球ならなんとかその矛先がかわせる。正直、みなみに振り回される程高の野球部と学校の設定は強引だが、それもありかなと思わせる作者の手腕に拍手。
読了日:04月27日 著者:岩崎 夏海
梟の城 (新潮文庫)梟の城 (新潮文庫)
面白かったぁ。司馬節は既に完成されている。司馬遼を読み漁っていた中高の頃を思い出す。そして、この文体が染み付いている私は、すでに文字を読んでいない。ページをめくるたびに、映像が眼前に広がる。その臨場感と、登場人物の存在感と、演出が心憎い。謎の女の登場も、強敵の現れるタイミングも。そして、予備知識なく読んでいた私にとっては、最終章にびっくり。「うはは、おもしれー」と終わる快感。お勧めです。
読了日:04月26日 著者:司馬 遼太郎

読書メーター

ガリレオの苦悩 :若い女性を組み込んだTVのヴィジュアル感は、文章にしても華やいだ感じがする。内海刑事の参加は、ガリレオシリーズを変えている感じはする。しかも、湯川準教授と事件との関係が濃密になっていて、当初のスタンスとは違ってしまっている。湯川の体現しているものが、「科学」から「物理学者湯川」になってしまっているのだ。科学の代表者として、事件に挑んでいるのではなく、事件の関係者として行動するのでは、どうも枠が狭くなっている気がする。犯人たちも、科学を悪用する「ある種のマッドサイエンティスト」になっている。これはいただけない。唯一、ダウジングの話が救い。ダウジングを肯定も否定もしないスタンスは、科学である。ここは、作者に拍手。
たしかに、ガリレオは苦悩していない。苦悩しているのは、東野圭吾ではあるまいか。

もしドラ : ドラッカーを読まないと結論は出せない。が、きっかけを与える本にはなっている。ザ・ゴールより物語重視だし、原本を大事にしている感はある。しかし、ドラッカーを読んだから、このように成功した。という話にするには無理がある。ドラッカーを使わなかったら、成功しなかっただろうという前提があり、ドラッカーを読んだから各メンバーの個性やいい面を引き出せた、という設定ではある。では、各メンバーの個性や才能が欠けていたら、成功したのか?成功しないのだ。ここでは、ドラッカーはツールに過ぎない。材料やエネルギーは別供給である。だから、たまたま、ドラッカーをきっかけとしているが、もともと成功する要素を含んでいる集団だったのだと。ドラッカーが新しいエネルギー源を持ってきた訳ではないのだ。
ネットの評は、3方向にわかれているし。ドラッカー抜きで感動、きっかけ本評価、小説ダメ。この物語(ドラッカーを抜いて)で感動できるのは、見事にアレな感覚と言わざるを得ないな。設定も、人物像も、セリフも、ストーリーも、ご都合主義とどこかで見たようなものの集合体。まあ、クリームシチューのベタな部分集約ドラマで泣くタレントもいるのだから、しょうがないか。作者の岩崎氏も、ストーリーで「感動」されるとは思っていなかったのではないだろうか。それでも、この設定で最後まで読める。これは、ある種の技能だと思う。単なる小説を書いてみたらどうかな?とも思えた。

梟の城 : 面白い。ホントに面白い。やはり、司馬遼太郎は大人の本だな。読みなれてる文体(と言っても、司馬遼太郎の作品、何年振りだろう?)に浸っているうちに、ふと、「あ、字を読んでない。なんて書いてあったか、おぼろげ」なことに気づく。でも、映像は鮮明に、物語はしっかりと目の前に広がっている。これは、脳内でショートカットが行われてるということでは?これは、文学作品を読んでいるのだろうかと思いながら、エンタメ小説としては究極の姿かもしれないとも思う。
単純で複雑な主人公の心象に共感し、謎の女の正体の片鱗を紡ぎ、大きな歴史の流れに乗り、京の街を駆け抜ける。そのスピード感も、匂いも、文面から直接吸収している。これが、小説を読む醍醐味だと思う。ああ、司馬遼太郎の読者でいてよかった。と思える作品でした。
 
先週の本は、
科学と論理に寄りかかる小説と、
小説とは言ってはいけない本と、
小説の中の小説
でした。小説の面白さとは、物語と語り口。司馬遼っていいな。