マニュアルホラー

目覚ましモジュール

私は新しい目覚まし時計を買った。マニュアルには次のようにあった。

はてな目覚まし時計」をお買い上げ頂き、ありがとうございます。
時計の背面にあるつまみをまわして、アラーム時刻をセットしてください。
時計がアラーム時刻を示すと、アラームが鳴りはじめます。

アラーム停止ボタンを押すとアラームは即座に停止し、
アラーム時刻は自動的に5分後に再設定されます。
5分後には、アラームは前回より大きな音で鳴ります。

アラームを完全に止めたいときは、アラームが鳴っているときに
アラーム停止ボタンを3秒間、押し続けてください。

私はアラーム時刻を明日の07:00にセットすると、床についた。

「トントン ・・ トントン・・」
背中をやさしく叩く感触があり、私は快く目覚めた。アラーム停止ボタンに軽く触り、ベッドの振動は、緩やかにおさまった。
私は、独り言をつぶやいた。
「こりゃ気持ちいいな、ベッドを振動させるってのは、いいもんだなぁ。」
ふと、目覚まし時計モジュールの表示部が0705と表示されているのに気づいた。そういえば、停止ボタンに触れただけだと、5分後に再設定されるんだっけ。しかも、少し強めに鳴るんだったか。
「ためしに、もう少し強いマッサージをしてもらおうかな。今日は作業までには、まだ時間もあるしな。」
私は、まだ暖かいベッドに逆戻りした。

「オラ、オラ、なにやってんだぁよ。じゃまなんだよ、そんなとこにねてんじゃねぇぞ!」
私は、なぜかチンピラ3人に、背中を蹴られていた。このままでは、痣だらけになってしまいそうだ。私は周りで見ている通行人に叫んだ。
「助けてくれー」
自分の大きな叫び声で飛び起きた。腿の下から「ドン・・ドン・・」と突き上げる振動が伝わってくる。私はドキドキしながら、新しいアラームをベッドに取り付けたことを思い出した。
「あ、目覚ましだったのか、よかった・・・・と、止めなきゃ。」
私は、停止ボタンを殴るようにして押した。ベッドは「ガキッ」と鳴って停止した。
恐る恐る、ベッドから降り、昨日ほおり出しておいた「マニュアル」を読んでみた。
『アラーム停止ボタンを押すとアラームは即座に停止し、
アラーム時刻は自動的に5分後に再設定されます。
5分後には、アラームは前回より大きな音で鳴ります。』
確かに、前回より大きな音で鳴っていた。しかし、大きくなり方が尋常じゃない。これじゃ1回目で起きないととんでもないことになる。ふと、気になったので、もう一度マニュアルを読む。
『アラームを完全に止めたいときは、アラームが鳴っているときに
アラーム停止ボタンを3秒間、押し続けてください。』
ええー、完全に止めるには、押し続けなくちゃいけないのか。それも、鳴っているときに。
表示部には、0710と表示されている。あと3分と10秒ある。
「仕方が無い、次に作動したときに止めるぞ。さっきの感じだと、即座に止めないと、なにか棚から落ちてくるかもしれないな。さらに大きくなるって書いてあるもんなぁ。」
独り言を言いながら、私は、ベッドの上の棚の花瓶をテーブルに移した。
あと1分。・・・あと30秒。ふと、表示部の右隅に、小さな☆が示されているのに気づいた。☆は3個表示されている。首をかしげていると、あと10秒になったので、私は停止ボタンに指を近づけた。あと5秒・・3秒・2秒・1秒。

経験したことも無い大きな地震が襲ってきたようだった。構えていた指は、停止ボタンから遠く離れていく。かろうじて踏みとどまり、停止ボタンを手のひらで押す。ベッドは少し傾いたまま、即座に停止した。ホッとしなからも、後3秒と思い、ひたすら押し続ける。
「止まった・・・」
ベッドの上には、頭の上の本棚から落ちてきたハードカバーの本が散乱している。寝ていたら、直撃していたところだ。ぞっとしながら、私は、本を棚に戻そうとした。そのとき、目の隅に、目覚ましの表示部が掠めた。思わず声が出た。
「え」
表示は0715と書かれている。しかも、☆が4個表示されている。
「あれ?さっきのが3回目のアラームだよな。☆の数が4ってことは、ひょっとして4回目もアラームが鳴るってことか?時刻も5分後にセットされているように見えるけど。」
ぶつぶつと独り言を言いながら、マニュアルを確かめる。確かに、
『アラームを完全に止めたいときは、アラームが鳴っているときに
アラーム停止ボタンを3秒間、押し続けてください。』
と書かれている。だから、完全に止めたはず。
だよ・・な。
『アラームが鳴っているとき』って、いつなんだ。まさか、鳴っている『最中』じゃないだろうな。『アラーム停止ボタンを押すとアラームは即座に停止』してしまうから、3秒間は鳴っていない。
「え」
『アラームが鳴っているときにアラーム停止ボタンを3秒間、押し続け』ることはできないことになる。私は、マニュアルを取り落とした。
「止められない?・・・・・いや、手はあるさ。・・・そうだ、セット時刻を変えちゃえば、大丈夫だろう。」
時刻セットは、目覚ましモジュールの背面にある。ベッドの目覚ましモジュールを反転させようとして、手が止まった。モジュールの脇についていたつまみが曲がっていて、モジュールも変形している。どう見ても、ベッドの壁面に食い込んでいて、背面をこちら側に向けるのは難しそうだ。さっきの振動で、ベッドが変形してしまったらしい。ベッドは部屋のモジュールと一体化していて壊せない。
「そうだ、電源だ。切ってしまえ。」
この部屋は、全部モジュール化されていて、電源管理もモジュール間で接続する方式になっている。目覚ましモジュールとベッドの結線ははずせなくなっているから、部屋の電源からベッドを切り離せばいい。壁面のコンピュータに部屋の回路図を表示してみると、ベッドの電源は、この部屋の主電源に直結していることが判った。
「なんてことだ。これじゃ切れない。」
この部屋は、作業室も兼ねているため、主電源を切ることはできない。遮断回路も、壁面モジュールの奥で、作業には15分かかる。とても5分間では・・・いや、あと3分だ。

私は、冷静に考えることにした。振動の強さをだ。1回目は震度2ぐらい、2回目が震度4ぐらいで3回目が震度6ぐらいか。いわゆるマグニチュードなら、2〜3ずつ大きくなっている感じだ。マグニチュードが1増えると、エネルギーは30倍になるから、1回ごとに1000倍くらい強くなっている様に思える。だとすると、次は震度8くらいになる。部屋も建物も破壊されてしまう。

私は、部屋を出て真下に見える大きな人口湖を見つめた。そう、ここは巨大なダムの中央部にある作業室なのだ。そして、この部屋の主電源は、発電モータから直接取っている。

このまま、アラームが強くなったら、この作業部屋だけではなく、ダムが壊れかねない。1回に1000倍づつ強くなるのであれば、震度8には耐える設計のダムも、次の震度10では保証されていないからだ。

「よし。」
私は、賭けに出ることにした。マニュアルによれば、停止ボタンを押すと時刻と強さが再設定されるらしい。つまり、
「停止ボタンを押さなければ、強さは強くならないはずだ。」

震度8なら耐えられるようにダムはできている。部屋が破壊されても、ダムが破壊されるよりはましだ。部屋が壊れれば、ベッドの主電源も外れるだろう。制御システムは、緊急制御に切り替わるから、最悪の事態は避けられるはずだ。表示を見ると、あと30秒だ。私は、走って部屋を出た。

ダムの屋上を走り、途中まできたときに、足元から振動が伝わってきた。振り返ると、制御棟のガラスが割れて破片が飛び散っている。主電源はまだ切れていない。発電所のエネルギーが制御棟の破壊に使われているのだ。
と、振動がおさまった。
制御棟に飛び込み、静まっていることを確認する。ホッとしながら、部屋へ向かう。あちこちに亀裂の入った壁を避けながら、ようやく部屋の中へ入る。照明も切れて薄暗い中、部屋の中は瓦礫でいっぱいだった。本部へ連絡を取ろうとして、携帯を開いたときだった。
文庫本が一冊、上の本棚からベッドへ落ちてきた。良く見ると、ベッドの上に文庫本が数冊落ちている。また、一冊落ちてきて、ベッドの目覚ましのあたりにあたった。私は、ベッドに駆け寄った。目覚ましの埃を払うと、かすかにまたたいている表示部が目に入ってきた。
「え、なんで」と、思わずつぶやいていた。
そこには、0720と表示されていた。私は息を飲んだ。そして、☆が5個並んでいるのを確認した。また一冊文庫本が落ちてきて、停止ボタンにぶつかった。
「そんな・・・ことって・・」
時計を見る。
7時19分50秒だ。
ダムが、設計よりオーバースペックであればいいのだが。