進化論と生物の経緯

生物の進化は、どのようなメカニズムなのか。
ドーキンスによれば、遺伝子の作用だという。
でも、遺伝子は、情報の「元」であって、実体そのものをさし示している訳ではない。
いわば、戯曲。
これを、「脚本」「台本」に変換し、さらに「演出」「役者」が実体化させる。
結果、同じ戯曲なのに、全然違う舞台になってしまう。
 
それは、舞台となる「細胞」が請け負うこと。遺伝子が運ぶ情報は、変換する細胞によって、異なる演劇を生み出す。
卵子が持っている、基本的な細胞の機構は、遺伝子の持つ情報とは別に「遺伝」してゆく。
 
こっちの変異については、どうなのだろう。なにか、進化に関係しないのであろうか。
そして、重要なことがひとつ。
卵子は、情報の結果ではないのだ。
 
ドーキンスの導く考えでは、遺伝子の変異は「フィードフォワード」である。
最初に与えられた変異は、後天的に獲得したものには影響されない。
先天的なもので、勝負する。その結果、選択が行われ、生存する確率の高い「元の情報」が生き残る。
さらに、情報は書き換えられる。が、結果待ちであり、さらに、その結果が情報に反映されるわけではない。
 
しかし、卵子は、後天的に生じたものを背負っている。
後天的に生じたものを持つ「細胞」が分化・特殊化したものだ。
先天的に持っている情報ではないし、方向性もなく生じた変異を含んでいる訳でもない。
何か「変わるべくして変わ」った結果、生き残っている個体が持っている細胞である。
その細胞が「分裂」して生じたものだ。後天的情報を内包している。

このDNA情報とは別に、親から受け継いだ情報については、どう扱うのだろうか。
大きな要素だと思うのだが。
情報の請け負い手が、DNA塩基配列という「わかりやすい」形になっていないので、わかりにくいとは思うのですが。
 
このへん、進化には影響があるのではないですか?
ねえ、池田先生?