この人は文章を書くために生まれてきたのか

 
栗本薫が亡くなって、すでに3か月近くたとうとしている。
読みそこなっていたエッセイ

ガン病棟のピーターラビット (ポプラ文庫)

ガン病棟のピーターラビット (ポプラ文庫)

を読んだ。
乳がんのときの話と比べて、「先の有る無し」という観点が大きくなっている。
まあ、乳ガンと膵臓ガンという状況や、国立ガンセンターに入院という環境などが影響しているのでしょう。
乳ガンのときは、傷口がふさがっていないのに芝居の演出に行ってしまっていましたから。
 
このときの手術ではガンをとりきれず、転移&抗がん剤治療への切り替え(あとがきに記述されている)となっている。
エッセイ終了が2008年冬。
来年の桜(つまり2009年の春)は見るぞ、と書いてあった。
ギリギリ見られたのかどうか。

半年から一年持たないという宣告後、この人の見つけたことは、
 
書き続けること
 
でした。グインは完結しないかもしれないけど書くという言葉そのままに、グインは道半ばにして未完となってしまいました。
作者本人もわかっていない結末は、もう誰にも書けません。
でも、どこか別の次元に蓄積されている「物語」を、この世に伝える「預言者」として
ある種の使命は果たされたのでしょう。
 
生と死を見つめたとき、栗本君は、誰かのために文章を書き続けることを選択しました。
 
さて、私はどうなのだろう。