かきつばた杯に参加しました。お題は「カシオペア」 http://q.hatena.ne.jp/1347119755

『魔女は微笑む』



「いよいよだな、ケン。タンホイザーゲート越えだ。」
牽引船体から声がかかる。スターゲートNO134-11、通称タンホイザーゲート突入まであと30分だ。
「どうだ、前から言っていた、タンホイザーまで来て」
違う声が聞こえる。俺の乗っているタグボートとはジョイント部分で繋がっている、トレーラーと呼ばれる牽引船体の乗組員たちだ。
「ドクター・ハーローの頃とは違いますからね。この船なら問題なく通過します。」
「そのブログ読んだよ。なあみんな。昔は大変だったんだな」
「だけど、ケンなら、俺たちをアンドロメダまで連れてってくれるさ」
「そうだ」「そうだ」
左のモニタに映る男たちは、口ぐちに叫ぶ。10体のいかつい体躯は、制御装置の明滅する船室には似合わない。
トレーラーには、アンドロメダへ向かう航路に設置するビーコンが積んである。航路を整えて、安全な航行を確保する。そのための、道路工事のようなものをしに行くのだ。そんな仕事をするのは、いつの時代にも腕が太くて気のいい男たちだ。
「まかせたぜ。」
リーダーのジャックが言う。男たちのこぶしが上がる。
「まかせとけ」
俺はシートに座りなおす。最終チェックをシステムに指示する。回答はグリーン。進路は空いている。
「行くぜ」
その昔、スターゲートが見つかるまでは、宇宙航行は狭い範囲だった。ゲートを通れば超光速で様々なポイントへ行ける。ゲートは時間をさかのぼり、違う場所に宇宙船を吐き出してくれる。だが、制御を誤ると、想定外の時間と場所に送られてしまう。
特に、このタンホイザーゲートは重力傾斜が複雑でパラメータが決めにくいのと、入ってからの機体制御が難しいので有名だ。入ることさえできず、引き返した宇宙船も多い。俺の尊敬する冒険家、ドクター・ハーローも、このタンホイザーゲートに拒まれた一人だ。
ハーローはそのブログでこう言っていた。
「さまざまなパラメータを設定し、何度突入を図っても、弾き返された。10度目の挑戦で、機体の制御ができなくなった。漂流する機体の窓から、ゲートを振り返ると、魔女が笑っていた。そう、タンホイザーには魔女がいたのだ。」
今、ゲートに突入する。パラメータは最適値になっている。航路も安定している。最新のタグボートだ、問題はない。
俺はつぶやく。
「魔女はどこだ?」
何事もなく、ゲートをくぐった。俺は魔女に勝ったのだ。
振り向くと、遠くかすかにWの文字が浮かぶ。ここから見ると、カシオペア座の真ん中に地球があるはずだ。アンドロメダまでまだ遠いが、少しだけ大星雲が近づいているのがわかる。
「さあ、道路工事だ。」「おお」

ビーコンの設置は困難を極めた。重力嵐に遭い装備を失う者、隕石のかけらが当たり右足をもがれた者、強烈な紫外線で目を焼かれた者もいた。それでも、ビーコンを予定通りに設置し、最後のポイントに到着した。これを終えれば、再びタンホイザーゲートを通って帰るのだ。

「緊急警報緊急警報」
出発準備をしている最中に、操縦室に警告が響く。モニタに表示された船体図では、左舷のエンジンが赤く光っている。
「どうした」
船外活動をしているジャックから連絡が来る。
「左舷だ、エンジンからエネルギー漏れだ。近づくな」
俺は左エンジンのエネルギー供給を停止する。赤色警報は止まる。モニタのエンジンは、オレンジ色に変わった。
「作業中止だ。帰還しないと。」
「わかった」
俺の言葉に疑問を挟まないジャックは、宇宙歴が長い。生き残るためには、自分の考えを捨てることが必要だったのだろう。
それからすぐ、操縦室と後ろの貨物準備室の中に11人の男が収まった。
「いつでもいいぞ」
ジャックから声がかかる。
「エンジンからのエネルギー漏れが多くて、待っているとタンホイザーゲートを越えられない。これ以降の作業は次のチームに任せよう。我々は帰還する。」
「総員配置に付け」
男たちはそれぞれ、シートや臨時の固定具で体を固定する。
「トレーラーの装備は、全部廃棄する。ここで切り離す。君たちの財産なのはわかっているが、この質量を牽引するパワーがない。すまない」
ジャックは俺の肩を叩き、親指を上に向ける。
「だいじょうぶさ、それより、タンホイザーの魔女を蹴っ飛ばせ」

トレーラーを切り離し、身軽になったタグボートはゲートの入り口へ向かう。最終チェックの表示はイエロー、要注意だ。システムに聞く。
「なにか問題があるのか」
システムの声が響く
「質量オーバー、ゲート内の重力ひずみの通過が不可能。現在通常の2万倍のひずみが発生中。」
「ひずみが収まるまで待機」
システムが反論する。
「事態収拾予測時刻まで待機した場合、エネルギー漏洩のため航行不能となる確率、98%」
「オーバーしている質量は?」
「現在概算で2.1t」
ジャックが立ち上がる。
「おまえら、宇宙服を捨てろ。今はいらねぇだろ」
男たちは拘束を解き、後ろの貨物準備室へ向かった。様々な音が聞こえ、エアロックが開き、閉まった。
ジャックの声が聞こえてきた。
「結構捨てたぜ。行けるだろ」
システムの表示は黄緑。ギリギリセーフというところか。
「質量クリア。出発できます。」
「行ける。」
「やっつけろ」

ゲートに飛び込む。重力ひずみの影響で船体が振動する。モニタに黄色やオレンジや赤の警告が光り始める。あちこちのパラメータ変更を繰り返し、船体の傾きを修正する。操縦桿をこんなに早く動かすのは、初めてだ。
「重力ひずみ増大、質量オーバー」
システムの警告が響く。もう捨てる質量がない。食料庫も廃棄した。操縦で乗り切ってやる。
重力ひずみの横を通る前に加速すれば。
左舷のエネルギー漏洩も使って。
モニタは情報で埋まり、全部を見ることができない。
操縦桿のキックバックで、手がしびれてくる。
「くそっ、俺は魔女に勝つんだぁ」
潮汐力で体が千切れそうだ。モニタが警報で埋まり、真っ赤になった。操縦室が真っ赤になってかすんでいく。操縦桿を手放すな。モニタは、モニタは…


目の前には、星空が広がっている。あそこに見えるのは、大きなWの文字。カシオペア座だ。
「ゲートを抜けたぞ。抜けたんだ。魔女に勝った、勝ったんだ」
モニタの表示はあちこちにイエローがあるが、おおむねグリーン。正常空間に戻ってきたことがわかる。
「おい、ジャック!魔女に勝ったぞ。ジャック」
俺は振り向く。操縦室には誰もいない。
「そりゃそうだ、宇宙服捨てに行ったんだから」
準備室入り口から、ジャックに声をかける。
「通ったぜ、タンホ」
俺は、声が出なかった。


貨物準備室は、空だった。壁についていたベルトも、パイプを止めていたネジもなくなっている。エアロックの外側の扉も。





誰もいない





俺は、エアロックの扉に近づいて行った。内側の扉の窓から見ると、外側の扉のあったはずの場所には、大きな穴が開いている。そこから、鈍く光るタンホイザーゲートが見える。





そして、そこには、






魔女が、笑っていた。