SFは謎を解かない

私はSFファンである。基本はガチガチのハードSFを至高のSFと考えている。竜の卵(フォワード)、星を継ぐ者(ホーガン)、宇宙のランデヴー(クラーク)、アレフの彼方(ベンフォード)、彗星の核へ(ブリン&ベンフォード)などなど、ハードSFを語らせたら二晩では終わらない。
でも、ディックも好きなのである。といっても、ディックもハードである。テクノロジーに支えられた幻想や、アンドロイドが使役を務める未来。やはり、ハード。復活の日もボッコちゃんもハードである。エイリアンもブレードランナーも、スターウォーズも、2001年も。
ハードとは何ぞやと問えば、説明のつく未来、と答える。
でも、これらよりも好きなものがあるのだ。
筒井である。筒井康隆である。虚人たち、虚構船団、農協月へ行くの筒井である。筒井の作品で、二番目に押すのは、
バブリング創世記。
この、ハードSFとはかけ離れた、SFとも文学とも言えない変な作品が私は好きなのである。
一時期全部暗唱しようとして、覚えたことがある。今でも出だしは覚えている。
「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを産み、ドコドンとドンタカタを産む…」
延々これが続く。各章で落ちはあるのだが、落ちを期待して読むものではない。
つまり、意味はないということである。この無意味さを感じる時間が、心地よかった。筒井の魅力は、無意味さの具現化だと思う。ほかの作家では得られない。

さて、表題である。「SFは謎を解かない」と書いた。ハードSFは説明のつく未来なのだから、謎説いてるだろう?と思うではないか。何を言っているんだお前は、と思うであろう。しかし、謎を解いてしまうと、物語が終わってしまう。だから、ラーマはなんだかわからないし、チーラの冒険は一部しかわからない、アレフは結局なんだったのかはわからないし、だれが星を継ぐのかは見当もつかない。小松左京も継ぐのは誰か?って聞いてる。目くらましのハードで科学を標榜しているが、物語のためには謎を解いてはいけないのだ。解ける謎を提示しているSFのつまらないこと。説明しきってはいけないのだ。杉浦日向子師匠の百物語のように、説明をやめて物語の余韻だけを響かせる。鳴り切らない音の半端な余韻の怖さというのは、解かない謎と同じで心に残る。

筒井の作品で一押しなのは、

ヤマザキ

※ ネタバレなので、読んでいないものはここで去るべし

この短編、最後の一行に尽きる。さんざん時代考証も科学的な視点も因果律も無視してきて、最後に一言。
「説明は、ないのじゃ」
見事というほかはない。これぞ、物語であり、SFである。ここまで読者を突き放すのが、語り部というものであろう。この一行を私も書きたいと思う。

読者が拍手するようなこの一行を。