なんで、なんで

おとぎ話の生物学―森のキノコはなぜ水玉模様なのか?

おとぎ話の生物学―森のキノコはなぜ水玉模様なのか?

生物学って、一番面白い学問だなあ、と最近は思っている。実際に「勉強」していた頃は、理科の中でもっとも苦手だったのではあるが。論理性が低いし、覚えることがいっぱいあるし。
しかし、「利己的な遺伝子」を読んでからは、いきなり高い論理性があることが解り「すげー面白い」になった。この論理を教えてくれていたらなあ、と思う。すなわち、生物は遺伝子の運び屋なのだということ。
で、おとぎ話の生物学。もちっと、論理的に結論まで出して欲しかったな。なんとなくさわりの部分に触れて、もう少し突っ込んだ話があるかと思えば別のところへ行っちゃう。ちょっと肩透かし。あの頃の生物学の匂いがしてしまう。
たとえば、表題の水玉のきのこだけど、例としてベニテングダケが挙がっている。でも、日本と外国の森林事情は違うだろうし、まさか一種類しか生えていないわけは無いだろうし、傘の形も軸のふとさもちょっと納得できない。派手じゃないきのこがかかれていない理由もわからない。しかも、ベニテングダケは危険。おとぎ話に出てくる「必然性」が語られていない。
そうなのだ、この本に出てくる説明には、「必然性」が乏しい。こうかもしれないとか、こういうのもあるとか、という表現が多い。いろいろ知識が詰め込んであるので、面白いとは思う。しかし、看板とは違わない?が印象。なぜ?には「〜だから。」と答えないと、中学入試落ちちゃいますよー。
サッちゃん、納得して寝てくれたんでしょうか?