かきつばた杯に参加しました。お題は「ジャック・オ・ランタン&ジャック・フロスト」  http://q.hatena.ne.jp/1349847961

『ハロウィン・ナイト・フライト』


「よろしくお願いします、機長」
僕は、今日初めてペアを組む機長に挨拶した。背の高いロマンスグレーの機長は、制服を着こなし、サングラスも決まっている。
機長は僕の目の前に立つとちょっと首をかしげ、右手を差し出しながらこう言った。
「トリック オア トリーツ」
ビックリした僕の脇を、CAのマーサが通って行く。マーサは通り過ぎながら、機長の右手にキャンディの包みを置いていく。「ハッピィ ハロウィーン」と言いながら。
「君。ちゃんとお菓子をくれないと、いたずらするよ。」
機長は僕にウィンクしながら、キャンディを一個分けてくれる。今日はハロウィーンナイト、魔界の住人しか徘徊してはいけない晩だ。
僕の目の前を矢印の形のしっぽを付けた整備員が走っていく。出発ロビーも魔女と幽霊とゾンビでいっぱいだ。
機長が手を振ると、背の高い骸骨がマシュマロを投げてきた。真っ赤なマシュマロが、機長の口に直接入って行った。
「機長!今年も頼むよ。特別な夜だからな!」
骸骨が叫ぶ。機長はマシュマロを振りながら、ドアを抜ける。

機内の点検をし、管制から出発許可を待つ。管制官から連絡が入った。
「やあ機長、心の準備はいいかな。」
「ああ」
と機長が答える。
「そういえば、副操縦士は、初めてだったかな」
「ああ」
「では、ご挨拶を。副操縦士君、気分はどうかな?」
問われた僕は答える。
「はい、普通ですが。なにかあるんですか?」
僕は怪訝な声を出しているに違いない。含み笑いの管制官は、こう答えた。
「いやいや、今晩は楽しいフライトだと思うよ。では、ご無事を」
機長が答える。
「無事を祈っててくれ。」
「祈っているとも。上がったら、いつものアレを忘れずに」
「ああ」
謎のやり取りを聞いて、ハロウィン独特の軽口なのだろうなぁと僕は想像をめぐらしていた。もらったキャンディをなめながら。


滑走路の端に止まり、左右二基のプロペラの回転を見ながら機長の合図を待つ。右のプロペラはシャフトのカバーがペロペロキャンディーの塗装だ。渦巻き模様で目が回りそうだ。
見上げる夕暮れの空は、もうすでに夜の側へと足を踏み込んでいる。機長は、ヘッドセットのマイクを触り、乗客に向かって言った。
「野郎ども、行くぜ!」
と、同時にスロットル全開。轟音を立てるエンジンに引かれて、滑走路が後ろに流れていく。浮かび上がった目の前には、分厚い雲が広がっていた。
「気象予報は快晴…」
呟く僕の耳に、管制から声が入る。
「上空に積乱雲発生中。おいでなすった。」
機長は操縦桿をまっすぐに保ち、雲を避けようともしない。見る間に雲に突入し、視界が真っ暗になった。激しく揺れる機体が水平飛行に移ったのは、それから数分だったが、僕には1時間にも感じられた。

揺れる機内で、機長が前を指差す。
「来たぜ。」
前の窓に、細かい氷の粒がぶつかっている。たちまち、窓が真っ白になった。ほとんど前が見えない。水平飛行中とはいえ、これでいいのだろうかと機長を見る。と、なにやら操縦室の照明をいじっている。
「その、窓の上の黒い布を下ろせ。」
機長が指した先には、計器の間に挟まれた黒い布が見える。これを下ろす?窓が見えなくなるじゃないか。
「え」
「いいから下ろせ」
言われるまま布を下ろすと、そこには穴が開いていた。
「よおし、準備完了」
と機長は言い、照明を触っていた手を放した。操縦室に、オレンジ色の光があふれる。光に照らされた黒い布は、ギザギザの縁取りをした大きな穴が開いている。それが左右に一つずつ。ちょうど操縦室の窓に当たるところだ。真ん中に小さな三角の穴もある。
「これがなんだかわかるか」
「い、いいえ」
「目だ。目の形だ」
何を機長は言っているんだろうと思って、よく穴を見てみると、思い浮かぶものがあった。
「カボチャ大王」
機長はニヤっと笑い、大きくうなずいた。
「そうだ、あのカボチャの提灯だ。外から見ると、ジャック・オ・ランタンになってる。機首には裂けた口も描いてある。」
「な、なぜ?」
「自動操縦に切り替える。ついてこい」
機長は後ろの扉を開けて行った。

機内の乗客は、人間ではなかった。うめき声を立てている魔女やゾンビや幽霊やゴブリンたち。機長が通路を進むと、周りからおぞましい手が出てきて、機長と僕を捕まえる。
「トリック・オア・トリーツ」
ポケットからキャンディーをばらまきながら、機長は機体中央部になる右側の窓にたどり着いた。指し示す機長の横から、僕は窓の外を見る。


翼の上に何かいる。


窓の外には、主翼が伸びていて、途中にエンジンのふくらみと白い輪が見える。プロペラの端にペイントされている白い色が、回転で輪に見えるのだ。
そのエンジンの後ろ、主翼の上になにかがへばりついている。雷雲の中で、稲光が光る。その光に照らされて、翼の上の物が分かった。
「雪だるま…角が生えてる」
乗客が騒ぐ。
「来たぞ」「魔物だぁ」「お菓子はどうした」「いたずらされるぞ」
もう一度閃光が走る。僕の目に残ったのは、雪だるまのニヤリとした笑い顔だった。
暗い雲の中を飛ぶ機体の翼の上を、ゆっくりと雪だるまはプロペラに近づいていく。
「エンジンにいたずらするつもりだ」「お菓子を投げろ」「窓が開かねえ」
魔女やゴブリンなどが右側の窓にへばりついてしまったので、機体はゆっくりと右に傾いていく。頭に矢の刺さったマーサが、幽霊とかゾンビたちを窓からはがして軽く睨み付ける。
「さあ、座りましょうねぇ」
「機長、ジャック・フロストにキャンディをやらないと。」
背の高い骸骨が、機長に言う。隣の小さい骸骨も、甲高い声で付け加える。
「いたずらされちゃう」
機長は、僕を連れて操縦室に戻る。


「さて、どうする」
着席した僕に、機長が問いかける。ばかばかしい知らないよ、と思いながら僕は答える。
「わかりません」
「あーあ、カボチャ大王で魔除けしたんだけどなぁ。翼だったか。」
機長は、何か思いついたように右手を挙げる。
「そうだ。あれを上げればいい」
「なんですか」
「副操縦士。右のエンジンを止めろ。」
「え、嵐ですよ。落ちます。」
「大丈夫だ。それに、いたずらされたらやっぱり落ちる。」
僕は、機長に向かって叫んでいた。
「なんなんですか、あれは。ただのぬいぐるみじゃないですか。よくできてますけど。これは何の冗談ですか。ハロウィンのジョークにしては程度が過ぎませんか?それにエンジン止めるなんて。遊びに命賭けられません。」
「そう思うだろ。ただのジョークだと。だがな、あれは本物の魔物だ。毎年ハロウィンの晩の山越え便にやってくる。」
向き直った機長の目は、まっすぐ僕を見ていた。これが演技だとしたら、大した俳優だと僕は思う。
「何もしなかった頃は、本当に墜落する便もあったんだ。ある年、ハロウィンの騒ぎをやっていたら、そいつにお菓子を取られたんだ。するとな、そいつは何もせずに帰っていったんだ。だから、大真面目にハロウィンのバカ騒ぎを、この便はやることになってる。」
「で、エンジンを止めるんですか」
「ああ。右エンジンのシャフトに、大きなペロペロキャンディーが付けてある。エンジンを止めて、そいつを取らせて帰ってもらうんだ。」
あれは塗装じゃなくて、キャンディそのものだったのか。でもなんで、エンジンなんだよ。と思いながら、僕は操縦桿を握りなおした。
「機長、なんでエンジンを止めるんです?」
機長は重々しく答えた。
「あいつはな、止まる寸前にキャンディがゆっくり回るのが楽しいらしいんだ。」
ため息をつきながら、僕は右のスロットルをゆっくりと戻していった。ゆっくり回るのが、雪だるまによく見えるように。

嵐の中を片肺飛行を続けていると、急に雲が切れ、星空が広がった。
「帰って行ったか」
機長はつぶやき、僕に向かって言った。
「右エンジン始動。山の向こうに行くぞ。」
さっきまでの操縦桿の振動が嘘のように、穏やかな飛行になった。遠くに街の灯が見える。無事に着陸できそうだ。

タラップを降りると、僕は背中を叩かれた。
「どう?面白かった?」
振り向くと、頭から矢を抜いているマーサだった。ほどけたブロンドの長い髪を僕のほおにかすらせて、耳元でささやく声はこう言っていた。
「よくやったわ、ケン。毎年、新人のパイロットはこのバカ騒ぎの洗礼を受けるのよ。片肺飛行の腕も見られるしね。」
ウィンクをして走り去るマーサと、親指を立てておもいっきり走っていく機長が見える。

やっぱりね。そんなことだろうと思ったよ。ばかばかしい。

機長を追いかけて機体から遠ざかる僕の耳には、メカニックたちのやり取りは、もう聞こえていなかった。

「おい、なんでプロペラを切っちまったんだよ。先っちょの白いところは大事なんだって、何度も言ったろ。」
「俺じゃねぇよ。それに、こんなにスッパリ切る道具、ここにはないぜ。」
「…」
「それより、あっちの空港のメカニックに、今度はプロペラシャフトのボルトを太いのに替えろって。」
「ああ、折れちまってるな。だがな、これ一番太いのだぞ」
「このボルトで、あのキャンディ付けてたんだよな。」
「ああ。… そうだったな。」